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『Netflix』インザトールグラス考察!草の神とループの謎や救済の意味を解説

『Netflix』インザトールグラス考察!草の神とループの謎や救済の意味を解説

〜謎だらけの黒い岩とタイムループにヨフカシも迷い込む〜 Netflix深夜レビュー🥱

こんばんは、管理人のヨフカシです。今日もNetflixの赤いロゴがまぶたの裏に焼き付いております。もはや条件反射で「次のエピソード」ボタンを押してしまう身体になってしまいました…。

今回の夜更かしのお供は、Netflix映画『イン・ザ・トール・グラス』
「声を聞いて草むらに入ったら、出られなくなりました」というシンプルな導入から始まるのに、気づいたら頭の中がタイムループと因果律の迷宮でパンパンになる一作です。

「え、結局あの黒い岩って何?」「ラストシーン、あれってハッピー?バッド?どっち?😇」
そんなモヤモヤを抱えたままエンドロールを迎えた同志、ようこそこちら側へ…。

この記事では、ネタバレ込みであらすじとタイムループ構造を整理しつつ、映画ならではの改変ポイントや、コズミックホラーとしてのテーマをガッツリ語っていきます。
コーヒー片手に、ぜひ一緒に草むらの闇をのぞき込んでいきましょう☕🌙

🌃深夜2時の葛藤と誘惑

時刻は深夜2時。
スマホの時計を見て、ヨフカシは一瞬だけ正気に戻ります。

「さすがにそろそろ寝ないと、明日の午前中、Zoom会議で意識飛ぶぞ…」
そう思いながらも、Netflixのトップ画面に並ぶサムネイルをスクロールしてる時点で、もう勝負はついているわけでして(笑)。

そんなとき、画面にふと現れたのがこのタイトル。

  • どこまでも続く青々とした草原
  • そこにポツンと立つ、心細そうな人影
  • 「イン・ザ・トール・グラス」という不穏なタイトル

…ねぇ、同志。これ、クリックしない方が無理じゃない?(笑)

「たすけてー!」

いやいやいや、そんなの…助けに行くしかないじゃん
というわけで、私の就寝フラグはその瞬間、粉々に砕け散ったのでした🥲

📌 あらすじ&迷宮解説(ここからネタバレ注意!)

※ここから先はガッツリとネタバレを含みます。
まだ映画を観ていない同志は、いったんここでブラウザバックして、Netflixを再生→本編視聴→戻ってくるというルートを推奨します。
もしくは、そのまま読み進めてネタバレを踏んでから観に行く変態コースもアリです(笑)。

物語の入口:助けを求める声が招く罠

一本道で車を停め、背の高い草むらへ歩き出すベッキーとカルのイラスト。助けるという善意が地獄への入り口となることを示唆している。

物語は、妊娠中のベッキーと兄のカルが、車で移動中にとある教会のそばを通りかかるシーンから始まります。
車を止めた二人の耳に飛び込んでくるのは、どこからともなく聞こえてくる少年の声。

「こっちだよ!助けて!」

周囲を見回すと、道の片側には背丈以上の草がびっしりと生い茂った“トール・グラス”
中は一面緑の迷路。地図なんてあるわけもなく、見通しもきかない。常識的に考えると「警察呼ぼうか」となる場面ですが、映画あるあるで二人はそのまま草の中へと踏み込んでしまいます。

ここでのポイント

  • 草むらは一見するとただの自然の風景だが、画面の奥へ奥へと続く画がすでに不気味
  • 「助ける」という正しい行動の結果、地獄へ落ちていく皮肉な導入
  • 妊婦・兄妹・迷子の少年という、“守らなきゃ”構図がホラーとしてめちゃ効いている

時間がねじれた草むらという舞台

草むらに入ったベッキーとカルは、すぐに異変に気づきます。

  • 声は近くに聞こえるのに、どれだけ歩いてもたどり着けない
  • 「ここでジャンプしよう!」と位置を合わせようとしても、着地した瞬間にお互いの位置が変わってしまう
  • さっきまで近くにいたはずの相手が、次の瞬間には遠くから叫んでいる

ここで観客は初めて、「あ、この草むら、ただの自然じゃないな」と理解させられます。
そしてさらに事態をややこしくするのが、後から登場するキャラクターたちです。

異なる時間軸から流れ込む人々

物語の中盤で、ベッキーの恋人トラヴィスが登場します。彼はベッキーの失踪から数カ月後、行方を追って同じ教会の前にたどり着きます。
──そう、彼が草むらに入るタイミングは、ベッキーたちより後の時間軸なのです。

草むらの中でベッキー、カル、トラヴィスの時間がどのように交差し、空間が歪んでいるかを示した相関図。過去・現在・未来が混在するルールの解説。

ところが、草の中に入るとどうなるか。 なんと、ベッキーたちと同時に存在し、直接出会ってしまうんですよね。

つまりこの草むらは、

  • 過去・現在・未来の時間軸をすべてゴチャ混ぜにした空間
  • 別々の時点で迷い込んだ人たちが同時に存在できてしまう場所

 

として機能しているわけです。

観客の頭の中は、「え、じゃあ今この人はいつの時間のこの人?」「この死体はどのループの誰?」という状態で大混乱。
でもこの混乱そのものがホラーの一部として設計されている感じがするんですよね。

トール・グラス世界のルールをざっくり整理

ごちゃごちゃしてきたので、いったん草の中の“なんとなく見えてくる法則”を整理してみましょう。

【草の中の主な法則(作中描写から推測されるもの)】

  • 空間的な距離が常に変動し、まっすぐ歩いても同じ場所に戻ってくる
  • 音の方向や大きさがあてにならない(近くに聞こえても遠くにいたり、その逆も)
  • 人物が何度も姿を現したり、過去の自分/未来の自分が出てくるような時間の循環性が見られる
  • 死体や持ち物がそのまま残っており、後のループに物理的痕跡として影響を与えているように見える
  • 中心にある黒い岩に触れた者は、草の動きや時間の流れを直感的に理解しているかのように振る舞う

このあたりから、普通の「迷子ホラー」から一歩進んで、タイムループ×空間ホラーみたいな様相を帯びてくるわけです。

🧠 岩の正体と意味

草むらの中心に鎮座する巨大な黒い岩のイラスト。表面には古代の碑文のような模様が刻まれており、すべての異常の震源地であることを示している。

トール・グラスの中心部に、どっしりと鎮座する謎の黒い岩。 劇中で「草の神」と呼ばれたり、「モニュメントロック」と呼ばれたりするこの岩こそが、すべての異常現象の震源地のように描かれています。

岩の見た目と“触れてはいけない”空気感

この岩、単に黒くて大きいだけではありません。表面には、どこか古代文明の碑文のようにも見える奇妙な模様が刻まれており、それがまた不安を煽ります。

  • 自然にできた岩とは思えない、どこか「意味のありそうな」模様
  • 触れようとするとカメラワークがグッと寄り、不穏な音が流れる
  • 周囲の草の動きも、この岩を中心に「呼吸」しているように蠢く

観客としては、もう全身で「それ以上近づいちゃダメなやつーーー!!」と叫びたくなる存在です(笑)。

触れた人間に何が起こるのか

岩に触れたキャラクターとして特に印象的なのが、トビンの父・ロスと、終盤で岩に触れるトラヴィスです。

キャラクター岩に触れた後の変化内面の反映
ロス狂信的になり、他者を草の中に縛り付けようとする。暴力的・支配的な行動がエスカレート。元々抱えていたストレスや支配欲、家族への歪んだ愛情が増幅されたようにも見える。
トラヴィス時間や空間のループ構造を理解し、トビンを「別の時間」に送り出すという決断・行動が可能になる。ベッキーを救いたいという贖罪と愛情が、岩の力を通して形になったようにも見える。

ここから導き出せる仮説として、ヨフカシ的には、

「岩そのものに善悪の属性があるのではなく、触れた人間の内面を拡大・可視化する装置」

黒い岩に触れる男のイラスト。岩は鏡であり、触れた者の内面(ロスの狂信やトラヴィスの贖罪)を増幅させる装置であるという解説図。

という見方がしっくりきます。 ロスは欲望と支配の方向に、トラヴィスは贖罪と救済の方向に、それぞれ“強化”されてしまったイメージです。

コズミックホラーとしての“草の神”

この作品の怖さは、「実はこういう科学的なメカニズムでした~」と親切に説明してくれないところにあります。 草の神も岩も、その起源や目的ははっきりとは語られません。

それがまさにコズミックホラー(宇宙的恐怖)のポイント。

コズミックホラーの特徴

  • 人間の理解を超えた存在・法則に触れてしまう恐怖
  • その全容を理解できないまま、ただ圧倒される無力感
  • 説明不足ではなく、「説明されないこと」自体が恐怖を生む構造

「なぜ草は時間を歪めるのか?」「岩は誰が作ったのか?」 ──この問いに対して、映画は最後まで明確な答えをくれません。

でも、それでいい。 むしろハッキリ説明されてしまったら、この作品が持つ不可解さの魅力は半減してしまう気さえします。


🧠【ヨフカシの深夜の豆知識(うんちく)】

ここで一息、夜更かし恒例のうんちくコーナーです。 コーヒーのおかわりを注ぎながら、ちょっとした裏話をどうぞ☕

『イン・ザ・トール・グラス』の原作は、スティーヴン・キングとその息子で作家のジョー・ヒルによる中編小説。映画はその実写化作品です。

おもしろいのは、映画版が原作をそのままなぞっているわけではなく、かなり大きな改変が行われていること。 特に重要なのが、映画オリジナル要素として強調された「トラヴィスの存在と贖罪のドラマ」です。

原作のトーンはもっと救いがなく、全体としてハードな悪夢感が強いと言われています。 一方映画では、トラヴィスを物語の中心に据えることで、

  • 「自分の過ちと向き合う男の物語」
  • 「誰かを救うために自分を犠牲にするラスト」

といったヒューマンドラマ的な味付けが強くなっているんですね。

つまり映画版『イン・ザ・トール・グラス』は、

  • 原作の救いのないコズミックホラーの芯を受け継ぎつつ
  • そこに「愛と贖罪」という感情のフレーバーを付け足したアレンジ版

原作小説の絶望的なトーンと、映画版で追加された「愛と贖罪」の光を対比させたイメージ図。スティーヴン・キング原作からの改変ポイントの解説。

として楽しめる作品でもあるわけです。

「キング×ジョー・ヒル親子の原作」「映画オリジナルの救済要素」という二段構えで味わうと、作品の見え方もかなり変わってきますよ🌙

💥 なんで評価が分かれるの?

さて、この映画。ネット上の感想をざっと見ても、評価がバッキバキに割れている作品でもあります。 「めちゃくちゃおもしろかった!」という声もあれば、「ストーリーひどい」「意味不明すぎる」という辛口評価もちらほら。

前半と後半で“別の映画”に感じる問題

映画の前半が「分かりやすいサバイバル」、後半が「抽象的なSFホラー」へと変化することで、視聴者の評価が分かれる構造を解説したスライド。

まず大きいのが、「前半と後半のトーンの違い」です。

  • 前半:閉ざされた草むらで迷子になるサバイバル・サスペンス
  • 後半:タイムループと因果律をめぐる、かなり抽象度の高いSFホラー

前半の「どっちに行っても出られない!」という分かりやすい恐怖から、後半は徐々に、

  • 「この時間軸のこの人が、あの時間軸のあの人に…」
  • 「どのループが“本当の最初”だったのか?」

といった、思考力を試されるタイプの展開にシフトしていきます。 ここで脳がオーバーヒートしてついていけなくなる視聴者が一定数出るのも、正直よくわかる…(笑)。

“整合性”を求めすぎるとしんどい作品

ループものに絶対の論理的整合性を求めると、ほぼ確実にツラくなる作品です。

  • あの時点のあのキャラは、別の時間軸のあの出来事を覚えているのか?
  • トラヴィスがトビンを過去に送り出したあと、その世界線はどう接続されるのか?
  • 「ベッキーたちが草に入らない世界」と「トラヴィスが犠牲になる世界」は同時に存在するのか?

このあたりをパズルゲームのように完璧に解こうとすると、ほぼ間違いなく頭を抱えます(笑)。

むしろ、

  • すべてを論理的に理解しようとしない
  • 「草むら」という理不尽なシステムの中で、人間ドラマがどう動くかにフォーカスする

くらいの距離感で観た方が、作品としては楽しみやすいかもしれません。

雰囲気ホラーとして観るか、人間ドラマとして観るか

評価が割れるもう一つの要因として、「どの楽しみ方で観るか」があります。

観方のタイプ楽しめるポイントモヤモヤしやすいポイント
雰囲気ホラー重視草むらの閉塞感、不気味な岩、ループする絶望感など「空気」が最高。細かい設定はやや曖昧なので、すべてを説明してほしい人には物足りないかも。
SF的謎解き重視タイムループや因果律を「あれこれ考察する」遊びができる。論理パズルとして見ると、どうしても矛盾や説明不足が目についてしまう。
人間ドラマ重視トラヴィスの贖罪の物語、ベッキーの葛藤など、感情面で刺さる部分が多い。ホラーとしての怖さよりも、後半の抽象的な展開でちょっと置いて行かれる可能性も。

「ストーリーがひどい」というよりは、作品の狙いと自分の期待とのズレが大きかった人が、そう感じているのかなという印象でした。

⭐️ 総評【ヨフカシ的評価】

というわけで、夜更かししながら何度か一時停止&巻き戻しを繰り返しつつ鑑賞した結果、ヨフカシの個人的評価はこちら!

ヨフカシ的おすすめ度:🌟🌟🌟☆☆(星3つ)

  • 雰囲気ホラーとして:まあまあ好き
  • タイムループSFとして:やや荒削りだけど考察の余地ありで楽しい
  • 人間ドラマとして:トラヴィスのラストが刺さる人にはめちゃ刺さる

「完璧に論理が閉じたパズル」を期待すると肩透かしかもしれませんが、
「理解不能な草むらに迷い込んだ人間たちが、どう足掻き、どう壊れ、どう救われるか」という視点で観ると、かなり味わい深い一作だと思います。

特にラストの、

  • ベッキーとカルは草むらに入る未来を回避したらしい
  • でもトラヴィスはその“裏側”で犠牲になったままかもしれない

というパラドックスをはらんだ結末は、 「自分の平穏も、誰かの犠牲の上に成り立っているのかもしれない」という、ちょっとヒヤッとするテーマを突きつけてきます。

草むらを脱出するベッキーたちの車と、草むらに一人残るトラヴィスの後ろ姿の対比。誰かの平穏は誰かの犠牲の上に成り立つというパラドックスを示している。

難解ではあるけれど、だからこそ二回目・三回目で見えてくるものが増えるタイプの作品。 一度「???」になってしまった同志にも、ぜひ考察モードでの再視聴をオススメしたいです。

 

…と、ここまで書いて時計を見たら、もう深夜3時半なんですけど?(笑) さて、同志。

さて、もう1本観てから寝ようかな…?🌙🥱☕️

──その「もう1本」が、また別の眠れない夜を連れてくるのだと知りつつ…。 今日もNetflixの赤いロゴに誘われて、ヨフカシの夜は更けていくのでした。

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